シェアリングエコノミーについて

シェアエコ(シェアリングエコノミー)とは?

ボクはシェアエコと言われるモノが好きです。

そもそもシェアエコとは何なのか?どんな効用があるのか?これからどこに向かおうとしているのか?そんなことをしばらくシリーズ化して書いていきたいと思います。

まず、そもそもシェアリングエコノミーって何?って話ですが、総務省の定義を確認してみましょう。

「シェアリング・エコノミー」とは、典型的には個人が保有する遊休資産(スキルのような無形のものも含む)の貸出しを仲介するサービスであり、貸主は遊休資産の活用による収入、借主は所有することなく利用ができるというメリットがある。貸し借りが成立するためには信頼関係の担保が必要であるが、そのためにソーシャルメディアの特性である情報交換に基づく緩やかなコミュニティの機能を活用することができる。シェアリング・エコノミーはシリコンバレーを起点にグローバルに成長してきた。PwCによると、2013年に約150億ドルの市場規模が2025年には約3,350億ドル規模に成長する見込みである。(総務省H27年度情報白書より)

要するに個人同士がモノやスキルを分配することで、限りある資源を効率的に分配する仕組みですね。世界的に本格的なスケーリングを果たしていて有名なのはライドシェアのUberや民泊のAirbnbです。

ちなみに、世界では2013年に150億ドルだったシェアエコ市場は12年後の2025年には3,350億ドルまで成長する見込みだとPwCが分析発表をしています。

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シェアエコがなんで重要なの?

ボクは人類の存続にかかわる問題だから重要なんだと思います。

今までの資本主義的な考え方の社会は大量生産の大量消費で、企業は怒涛の如く生産しまくって消費者はその分消費しまくってきました。

でもこのまま世界的に人口が増加すると資源の枯渇が危惧されていますし、人間には際限のない欲望があることもどうやら事実のようです。

1930年にイギリスの経済学者ケインズはその著書で、100年後の世界では生産性が大幅に上がるため、働かなくても皆が平均的に豊かになる。富をどう配分するかという経済問題はなくなると言っています。

ケインズのいう100年後とはあと13年後ですが、どうやら労働がなくなるような兆候はありません…。

それは人間の欲望があまりに際限なく次から次へと高次な欲求(マズローの言う尊厳欲求や自己実現欲求ですね)が生まれてしまうからなのではないでしょうか。

資本主義的な価値観では、人間は現状に安住することを人類は嫌うわけですね。

そこで最近になってこのような漠然とした不安が起こっているのではないでしょうか。

「このままどこまでも大量にモノを作りまくって消費しまくっていたら我々はどうなってしまうのだろう。またこれではピケティーや、もっと古くは古代ローマのマタイ伝のように「富める者は一層富み、貧しいものはより貧しくなる」だけなのではないか」

シェアエコはそんな不安を一掃するもの!というワケではないと思いますが、課題解決に対しての一定の貢献可能性はあるのではないでしょうか。